HOME>>  「居間」TOP>>

記憶力の鬼門

 自慢じゃないが、私は記憶力がいいらしい。自分では標準だと思っていたが、このみや紫瀬さんにしょっちゅう言われていると「そうなのかなぁ」という気になってくる。というわけで並の上くらいの記憶力を持っている。が、誰しも苦手とする分野があるように、私の記憶力にも鬼門が存在する。それは「人」と「服」である。

 この間、「発掘あるある大辞典」というTV番組で相性の話をやっていた。その中で性格判断の5角形というやつがあった。簡単な質問に答えて自分の性格を割り出すものだが、やってみると、見事に思ってたとおりのいびつな5角形が出来た。そしてここに関連する項目「他人に興味があるかないか」で見事に10点中1点という結果に到達した(それでも0点でなかっただけマシね)。つまり他人に興味がないと。なんて自己中心的マイペース人間であろうか。この結果が人の「顔や服が覚えられない」という原因を指し示しているような気がする。。。

 昔から人の顔と名前が覚えられなかった。新しい知り合いが出来た場合、最低3回は会わないと判別がつかない。どうも人を漠然としか見ていないようである(といって人の顔をじ〜〜〜っと見るのも失礼だしな)。しかも忘れるのも早い。高1の時、中学3年間同じ部で、中3の時も同じクラスだった子(同性・しかも結構よく話をしていた)とすれ違ったが、どうしても名前が思い出せなかった。小学校も中学校も卒業アルバムなんて金のかかるものはなかったしな。ちょっと半年ばかり交流がないと急速に記憶が薄れていくらしい。逆に名前は覚えていて、さて顔は、と思い出そうとしてもモヤモヤといいかげんな像しか結ばなかったりする(もしくは似てる人の顔にすりかわる)。だから顔と名前がなかなかリンクしないのだな・・・。実は「忘却シリーズ」(佐々木倫子)の主役の気持ちが大変良くわかる人だったのだ、私は。情けなし。

 服も覚えられない。友人とあって人ごみでバラバラになった時、見つけるために服の色で探そうと思っても、その日彼女が何色の服を着ていたか思い出せない。真っ赤っ赤〜なド派手な服だったりしたらさすがに記憶に残りそうだが、そんな大胆なファッションセンスの友人はいない。仕方がないので、同じような黒い頭の中から探すのだ。大変効率悪し。
 サスペンスものを見ていると、時々出くわすシーンが、行方不明になった娘とかの持ち物を親と警察がチェックする場面だ。「なくなっている服はありますか?」と訊く警察に、「そういえば、あの服が・・・」という母親。嘘だ。なんで娘のなくなった服なんかわかるんだ。と、母上に言うと、母上も「そうよなー。家族の持っとる服やこー、わからんよなー」と同意する。ちなみに母上も私と同じく人の顔と名前と服が覚えられない。後日、友人と会った時、この話をしたら、
「わかるよ、普通。家族の持っとる服ぐれー、覚えとるって」
といわれた・・・。ショック・・・。
 我が家では誰か行方不明になって警察が調べに来ても、誰も紛失した服や靴はわからないので捜査が難航するかもしれない。。。(涙)。

 顔の話にもどるが、小さい頃「水戸黄門」の助さん角さんは同じ人の一人二役だと信じていた。だって見分けつかないもんよ。ついこの間は「クイズ赤○青○」を見ていたら「この人は誰でしょう?」という問題で田中康夫氏が写真で出たのだが、私も母上も「ああ、鳩山さんじゃが」と答えてしまった。だって同じ顔じゃん?(違う?)そういえば、ほんの数年前までSMAPのキムタクとTOKIOの長瀬の区別もつかなかった(今は「鉄○DASH」を見ているので区別がつきだした)。髪型同じ人は全部キムタクだと思ってた。だから若い男のグループであの髪型が混ざってたら全部SMAPだと信じてた・・・(ふっ。だって見分けつかないんだもんよ〜。人数知らないし)。

 さて、またしてもサスペンスドラマである。その日、塾が終わって居間へ行くと、一家でサスペンスドラマを見ている最中だった。私はTV画面を横目に見つつ色々やっていた。・・・が、そのうち不可解なことに気づく。見るとはなしに見ていたドラマの犯人が変なのだ。若いやり手のビジネスマンが犯人らしいのだが・・・その一方で、そいつは刑事なのだ!さっき、彼女と悪巧みをしていたと思ったら、今度は刑事課で、いかにも善良そうな熱血風に「あいつが犯人です!ひっぱりましょう!」などと言っている。パニックな私。
「ああ、何?この話?まさかと思うが、犯人とこの刑事、違う人??
・・・そのとおりだった。後半ついに私が同一人物だと思っていた犯人と刑事は同じシーンで出てきたのである!しかも別に合成ではない。ちゃんと違う俳優が演じているのだ。なのに・・・。
 

↑これが見分けられるか?私には出来ない。
 ことここにいたっても私には二人が同じに見える。似たよーな服装、似たよーな頭と顔の形、似たよーな体格、似たよーな眉毛・・・。これでは私には見分けるのは不可能である。もうあとはどちらかのネクタイの色で見分けるしか手はなかった。。。しかしシーンが変わるとネクタイの色も変わる(涙)。

 というわけで、私は「これではいかん」と思ったのである。身近で見慣れた双子は見分けられるのに、見慣れない他人となると、兄弟でも血縁でもない二人が見分けがつかんとは・・・!ドラマ見ても面白くないじゃないか(←これが本音か)。

 とはいうものの、こういう能力って鍛えられるものなのかな〜?と、既に投げやりなあたり、さすが「他人への興味がない」すばるくんであることよな。



敗北感

 私はあまり競争心が強くない。時々意外なところで「負けず嫌いだったんだな」と思うことはあるが、基本的には勝ち負けにはあまり興味がない(だからあまりスポーツも見ないのかもしれない)。だが一度、激しい敗北感を味わったことがある。
 それは何年か前の秋。忘れもしない思ひ出。。。

 その頃私は「幻妖伝説」の製作で休日はよく星弥と詰めていた。その日も前日から二人で詰めていて、昼食後、気分転換にフラフラと県北にある「神庭の滝」へ行った。神庭の滝は県内で唯一「日本の滝百選」に選ばれている大きな滝だ。滝までの遊歩道は谷間の川に沿って上っていく形で、紅葉の名所でもある。谷は紅葉の真っ最中で、美しく色づいたもみじがそこここに…。まさにコウヨウと書いてモミジと読むのがさもあらん、と実感される美しさであった。
 ところでこの頃、私と星弥の間では「四界ゴッコ」がはやっていた(笑)。「四界ゴッコ」とは、私がガブリエル、星弥がルシフェルになりきって気障なセリフを吐きまくるというだけのものである。が、この時は美しい紅葉を目の前にして、素に戻って我々は「きれー(綺麗)、きれー」を連発していた。やがて前方から下ってくるおじさんおばさんの一団と遭遇した。ハラハラと美しく舞い散るもみじの下で我々と彼らはすれ違った。その時、その一団の最後尾をフラフラと歩いていた30代と思しいお兄さんがポツリと呟いた。
「落ち葉の…舞いだな…(ふっ)」

 後にも先にも瞬間的に「負けた!」と思ったのはこの時だけである。


バナナジュース

この話はややグロイので飲み物を飲んでいる最中の方やこれから摂取予定の方は読まれないことをおススメします。

 もう10年程前のことだ。
 夏である。
 その夜、私はジュースが飲みたくなって台所へいった。昴家での基本の飲み物は水道水。もしくはすぐ作れるカル○ス。お茶が飲みたい人は自分で作らねばならんので、夏場、切迫してのどが乾いている時には向かない。湯が沸くのなんか待てないのである。しかも熱いのを飲みたい時以外は冷ます時間まで考慮せねばならない。こういう環境で暮らしていると、やはりてっとり早く水分補給できる物は水道水である。さいわい、田舎なので水道水が体に悪いだ、味がまずいだいうこともない。私も普段なら即、水に走るところである。
 ところがこの日はどういうわけかジュースが飲みたかった。
 ところで昴家にはミキサーがある。普段は母上が野菜ジュースを作るのに使用している。ミックスジュースが好きな姉上もしょっちゅう使用している。ほとんど「水」派の私はめったに使用しない。なのにこの日の私は姉上の背後霊が憑いたかのようにフルーツジュースが飲みたくなったのだ。ミキサーは前に使った人(おそらく母上)が洗って棚へ伏せてあった。私はそれをセットし、果物の缶詰を開けて中身をざばりと移しこんだ。適当に水やら入れて濃度調節後、スイッチ・オン。ウィーンゴゴゴゴ・・・。あっという間にジュース完成。ああ、文明って素晴らしい。出来上がったそれを私はガラスコップへ汲んで、わくわくと口元へ運んだ。念願のジュース。
 …その時傾けたコップの中に私は見た。ポツリ、ポツリと黒い物が浮かんでくるのを。2ミリ程のフットボール型をした物だ。
「…ん?・・・バナナの種(←輪切りにしたら中央にある黒いヤツね)か・・・」と、さらに傾け、いよいよ口に入れようとしたその時、私の脳裏を稲妻が走った。
「ちょっと待て!!私が入れたのはモモの缶詰・・・!」

 モモの缶詰の中にバナナの種が入っているわけがない。あらためてコップの中を見つめる私・・・。ああ・・・。フットボールについているこの触角のようなものは・・・?
 結論。形状からして、彼らはナメクジの赤ちゃんであると断定。おそらく野菜ジュースを作る時、材料についていた卵が、ミキサーの歯の裏とかの洗いにくく見えにくいところにくっついていたのだ。そしてそれがミキサーの中で孵ったところで私が使ってしまった・・・。
 想像するに、孵ったばかりで1箇所にかたまっていたナメちゃんたちは、高速回転の渦に巻き込まれ、目を回しながらちりぢりになり、ジュースの中で気を失って漂っていたのである・・・。まだ小さ過ぎて体を分断された子はいなかったであろうことが唯一の救いか(何の?)。。。
 私は飲みたかったのに飲めなかったコップのジュースとミキサーの中に残ったジュースを見つめた・・・。それはそれはたくさんの黒いツブツブが浮遊していた・・・。ちょっと「芋粥」(芥川龍之介)の主人公になったような、悲しくも情けない、でもなんだか清々しいようなわけのわからん気持ちである。
 私は深いため息をひとつつくと、ミキサーとコップの中身を流しへ捨て、きれいに洗ってから水を飲んだのであった。

 「むしケーキ」事件よりもさらに数年前のささやかな思い出である。



弁当好きの母

 うちの母上は弁当好きである。母親が弁当好きというと、重箱に豪華な弁当をガンガン作ってくれる、もしくは凝りまくった弁当を作ってくれるのだと思ってしまう人が多いらしい。大誤解である。母親は一家の料理マシーンではない。上記のような発想をした人は認識を改めることをおススメする。マメに私の書いた「製作日誌」などを読んでいる人は知っているはずだが、昴S子(母上)は料理嫌いである。娘がほどほどの年齢に達した時点で料理は放棄した。特に食べたいものがある時や必要に迫られた時しか料理はしない。そんな彼女が弁当好きとは・・・もちろん「弁当を食べる」のが好きなのである。しかも「家で作った弁当」に限定される。コンビニや仕出しの弁当ではご不満なのである。もちろん、レストランなどで食事するのは論外である。ではその弁当は誰が作るのか。必然的に私か姉上ということになる。
 さて、そんなわけで、ここ数年来昴家ではドライブの時、必ず弁当を持っていって、昼は弁当を食べるならわしになっておった。たいてい前の晩には、娘二人が仕込みを済ませ、翌朝、末の娘がちょっくら早起きしてな、弁当箱に詰めて持っていっておったんじゃ。ところがこの末娘、「鉄砲玉」と呼ばれるくらい出歩くのが好きでの。休みの日はたいてい山へドライブに行ったり、自分らで作った本を行商に行ったりしておったんじゃ。そんで、こん家のドライブはたいてい休みの翌日なんじゃな。行商へ行った日の翌日なんかは、誰が見てもわかる位、末娘はヘトヘトになっておったんじゃが、出かけるのが好きなもんじゃから、ぜーぜー言いながらも車に乗っていくんじゃ。それを普段からよう見とった父親が、行商日の前の晩に末娘に言ったんじゃ。
 「明後日のドライブは弁当作らんでええがな。行きがけにどっかで買うか、店に入って食べてもええし」
 これを聞いた末娘は喜んだんじゃ。疲れた体で弁当作らんでもええもんなあ。じゃけえど、それを聞きょうった母親はもちろん文句を言うたわな。弁当好きじゃけんな。でも父親が「ええがな」言うたら、なんかそれでええってことになってしもうたんじゃな。翌日、末娘は浮かれて行商に出かけたんじゃ。夜遅く帰ってきてもまだ浮かれとったんじゃ。いつもならこれから弁当作りょうりゃー、2時、3時になりょーったからな。弁当詰めのために家族より2時間も早く起きんでもよーなったしな。すっかり上機嫌で末娘は布団へ入ったんじゃ。
 やがて草木も眠る丑三つ時。ふいに末娘の寝る2階の廊下の灯がパッとついたんじゃ。末娘はもともとあんまり眠りが深こうねぇんでなぁ、明かりが差し込むとそれだけで目が覚めてしまうんじゃあ。そしたらミシミシと足音がするんじゃが。まさか母親じゃなかろうな、と末娘はいやぁ〜な気持ちになったんじゃ。・・・そしたら案の定じゃった。すすすっと寝間の戸を開けて母親が恨めしそうに言うたんじゃ。「やっぱり、おにぎりしょうか〜」


 料理嫌いの母上が「おにぎりしょうか〜」とは、弁当への執着の度合いがわかろうというものである。放っておくとおそらく、3時、4時の台所でドタンバシャンガタンと一家の安眠を破壊する音をたてておにぎりをにぎりだすに違いない。家族の安眠を守るため、ムックリと私は起きあがり、母上に言った。「・・・わかった。明日早めに起きて私が作るから、安心してもう寝られぇ」・・・そして母上はにこやかに1階に降りて行き、私は枕もとの目覚ましの設定時間を動かしたのである・・・。


三杯飲んではいけません


応募券にあったお茶の絵(かなりそっくり<自画自賛・笑)。
 2000年桜めぐり(二日目)に昴家が行った時のことだ。その日の行程のしめくくりに我々は岡山県建部町にある家族旅行村「たけべの森」へ行った。「たけべの森」は色々な種類の桜がたくさん植えられていて、特に紅枝垂れ桜なんかが美しいのだが、当日はたまたま「桜まつり」の期間中だった。
おかげで入場券と一緒に「幸せになれる東北の旅ご招待」という応募券をもらった。この旅行内容がなかなかいかしている。幸せになれる5大ポイントというのがあって、座敷わらしの住む宿を訪れたり、縄文人の長寿膳を食べたりするというのだが、その中に「お茶を飲んで幸せに」という項目で八甲田山麓の長寿のお茶が飲める(らしい)というのがあった。いわく「一杯飲めば10年、2杯飲めば20年、3杯飲めば死ぬまで長生きすると言われます。」・・・読んだ瞬間、2杯までにしとかなきゃ、効果がないのか・・・3杯飲んだらみんなと同じだよな、とか思ってしまったのだった。みんな、死ぬまで生きてるよねぇ??


しょうゆ屋の話

 瀬戸町に昔ながらのしょうゆを作っている店があるという情報を入手した。そこの漬物がおいしいらしい。ある日、父上はその漬物を買いに行くことにした。朝10:00頃、教えられた情報に基づいて、無事,その店は発見された。昔ながらのガラス戸を開けて入ると土間があるパターンの造りである。人気がなかったので、父上は大声で「ごめんください」を連呼した。呼んでも呼んでも人が出てこない。内心,父上は「なんて商売気のない店だろう」とプリプリ腹を立てた。やがて、奥からおばあさんが出てきた。出てきたおばあさんに父上は「客が来たら早く出てくれ」といった内容の文句を言ったらしい。それを聞いたおばあさんは「はあ、しょうゆ屋でしたら、隣ですらぁ」と言った。その家はただの民家だったのだ・・・。


むしケーキ

この話は少々グロいので、これからお食事予定の方、食べ物を食している最中の方は読まないことをおススメします。

 姉上(大)の趣味はお菓子作りである。その日も作る気満々で、私にリクエストをきいてきた。そこで私はスタンダードなスポンジケーキにチョコレートコーティングしたものを所望した。さて、夜、出来あがったケーキが出された。切り分けは私の担当である。チョコレート、といってもかかっているのは溶かしたココアである。そのケーキの上には一面、プツプツとした突起があった。それを見て私は「ああ、アーモンドクラッシュをまいた上からココアをかけたのね」と思った。さて、切り分けも済み早速一口。・・・何故か酸味を感じる。しかもアーモンドの歯応えがない。その時点で製作者の姉上はもう自分の分をとっとと食べきっていた。家族もみんな食べ中である。誰も何も訴えない。・・・が、私はこの酸味が気になってしょうがない。何故酸っぱい?私は改めてアーモンドクラッシュを凝視した。何故このアーモンドは全部三日月形をしている?普通アーモンドクラッシュは三角錐型とか、四角錘型とかそんな形になるはずじゃあ・・・。言いようのない不吉なものを感じて、私はアーモンドクラッシュにかかったココアをフォークの先でぬぐってみた。・・・ああ、誰か嘘だと言って。


どうしてこの三日月形のモノは白くて柔らかいの?どうして縦筋がいっぱい入っているの?どうして片方の端に目のようなものがあるの〜?・・・アーモンドクラッシュの正体は使いさしのココアの中で繁殖した蛾の幼虫達の変わり果てた姿であった。姉上はアーモンドクラッシュなど入れていなかった。袋のフタをきっちり閉めていなかった&隙間の多い水屋の中に保管してあったココアの中で生まれ育った彼らは、「白いのはミルクの成分だろう」と信じた姉上の熱湯攻撃にあい、瞬時に昇天して三日月型にゆであげられてしまったのだ。・・・それにしてもその「むしケーキ」を疑問も感じずパクパク食べた昴家一同の味覚の方が怖い。。。そしてあの酸味を私も一生忘れられないだろう。。。


<前ページへ  ▲ページ先頭へ  「居間」TOPへ  次ページへ> 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system