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自然とふれあうシリーズ−4−
〜習性って・・・〜

 おそらくは小学校高学年の頃の体験。

 その日、私は近所を流れる吉井川の河原へ、ブラブラと歩いて行った。特に目的があったわけではない。この頃、まだマンガ描きの趣味もなく、若さにあふれていた(笑)私はいい天気に誘われて家でじっとしていられなくなったのであろう。一人でふらふらと川へ遊びに行ったのだ。今考えてもなんて人付き合いの少ないマイペースなガキだろう。

 前にもどこかでふれたが、一級河川吉井川の河原はゴルフ場、サッカー場、野球場などに利用されている。
 車の往来のほどほどに激しい土手の上に立って見下ろすと、眼下には野球場、その左手にあたる川下側にサッカー場、さらにその下にゴルフ場が広がっている。右手すぐに国道が川を横断する橋があり、橋をくぐって川上側の河原は手付かずの草地だった。
 その草地が一ヶ月ほど前から刈り込まれ、運動場(?)に変身しつつあった。目的もわからないまま運動場化しつつあったその場所は、ここのところ4WD車などを駆るお兄ちゃん達のかっこうの遊び場となっていた。なにやら知らぬがそこの地形がお兄ちゃん達のドライビング魂を刺激するらしい。敷地内をグルグル走りまわる4WD車を何度も目撃したことがある。さすがに小学生放課後時間の今は車はいなかったが、敷地の端には車がグルグル走りまわった轍がしっかりついている。

 私は水辺に近づくべく、その敷地を斜めに横切り始めた。実のところ、ここの草が刈りこまれてから初めて来たので、どんな様子になっているのか偵察する目的もあった。
 足元には運動場風の土が敷き詰められている。

 初夏である。眩しい太陽が反射して、大地は白く輝いている。

 「草地の時の方が面白かったな」と思いつつ、私はテクテクと敷地の中心付近にさしかかった。すると・・・!
 それを目にした途端、私は硬直した。
 白い地面がわずかにくぼんだそこには愛らしいが・・・!


これは「桜めぐり2000」の時に発見したやつ。よく似てるので写真再利用。

 鳥の巣だ・・・。
 なんてこった。こんな丸見えの平たい場所に巣があるなんて・・・。そのままボンヤリ進んでいたら踏んでしまうところだった。草地だった頃に作った巣が、まわりの草が刈られて丸見えになったのか、それとも草が刈られた後におボケさんの親鳥が巣を作ったのか?その時は前者だと思ったが、今思うと後者の可能性も高い。私はしばししゃがんでその巣を観察したあと、そっと立って引き返した。敷地の端まで戻ってしゃがみ、親鳥を待つことにした。こんなところに巣を作った鳥は何者か、確かめてみたいと思うのが人情であろう。
 待つほどもなく親鳥は現れた。
 ああ、この特徴のある鳴き声・・・。ヒバリである。
 私はこの鳴き声を聞いた瞬間、心の中でため息をついた。ヒバリの巣に戻る時の習性を、この時一応知っていたからだ。。。やがて目の前で想像どおりの光景が展開された。

 ここでいうヒバリの習性とは−−−草むらに巣を作るヒバリは、敵に巣の位置を悟らせないため、巣から飛び立ち、帰ってくるときは巣から離れた草むらに着地してジグザグに草の間を走って帰るというもの。こうすれば敵は着地位置を巣だと勘違いするので、巣は見つからなくて安全なのである。だからヒバリの巣を見つけたいときは飛び立つ地点を観察していればいいのだよ−−−というものである。

 もうおわかりであろう。帰ってきたヒバリは草一本生えていない場所に着地し、もとより丸見えの巣に向かって丸見えのままジグザグに走って帰ったのである。


 習性ってかなしい・・・と、しみじみ思った私はその場を後にした。あの場所じゃ、いずれ車につぶされちゃうかもなー、それより先に鳶の餌食か?などと考えながら・・・それも運命じゃ>さすが、冷てーよ、私。


自然とふれあうシリーズ−3−
〜生存本能〜

 この文章を打っている只今、夏真っ盛り。ということで、水辺の思い出を一発。
 田舎で身近な水辺の生物といえば、それこそ山のようにいるが、今回の主役は「ヒル」である。漢字で書くとコレ(蛭)。ヒル!といえば、血を吸う生き物。水田の中をうろうろしていると、知らぬ間に忍び泳ぎ寄り、ペットリ貼り付いてちゅううぅぅ〜っと、血を吸っちゃうアレである。ああ、気持ち悪い。私のあまり好きでない生物の一つに分類される。血さえ吸わなきゃ形状は嫌いじゃないんだが。。。

 さて、小学生だったある夏の暑い日、私はご近所のMちゃんの家へ遊びに行っていた。Mちゃんとは、小・中学を通して一番良く遊んだ友達である。何か面白いことはないかとMちゃんの家の近所をさ迷っていた我々は、用水の中に面白いものを発見した。大量のヒルである。何が面白いかというと、これだけ大量のヒルが一箇所にいるところを見たのは初めてだったこと。つまり面白いというより、ものめずらしかったのである。用水とは深さ40センチ幅30センチくらいのコンクリ護岸のものである。水田に水を送るため、満々と透明な水が流れている。水の勢いもかなりある。たとえば、小学生の私が入ったならば、油断すると水流に足をすくわれて流されてしまうくらいの勢いである。もちろん用水の幅も深さも可愛いので、足をすくわれても、体ごとはまってしまうこともなくホントに流されることはない。でも小柄な子なら危険かも。というようなことはこのあたりの子ならみんな経験的に知っているので、こういう時の用水には不用意に入ってはいけないのである。どんなに暑くても。そんな勢いのある水の中、コンクリ護岸の垂直な壁に大量のヒルが体を縮め、1列になって貼りついているのである。油断すると流されちゃうので、なるべく丸まって貼りついているんだろう、というのは見ている我々にも容易に想像できた。それを発見した我々は本日の遊び内容を決定したのである。名づけて、ヒル捕獲大作戦。ヒルなんぞを捕獲してどうするか?そんなことを考えてはいけない。暇な子供らは時間をつぶす術を探しているのだ。捕獲の過程が楽しいのであって後のことなど考えているはずもない。この論理で何度毛虫捕獲大作戦も決行されたことか・・・。

 ともかく作戦は開始された。まずは捕獲場所の確保。Mちゃんの家から持ってきたお菓子の缶に水を汲んで,用水から40〜50センチ離れた平らな場所にそれは置かれた。この中に捕獲したヒルを貯めていこうという計画である。次に棒キレを探す。血を吸う生き物を鷲掴みにして捕獲しようなどとは二人とも端から思っていない。菜ばしのような長さの棒キレを各自二本ずつGETし、それでつまんで捕獲しようという作戦だ。かくして準備は整った。我々は用水を覗きこみながら 1匹1匹ヒルを捕獲していった・・・。

 ヒルにも色々種類があるだろう。我々の地域で生息しているヒルは大体8センチ前後。背中が透明がかった黄緑色、お腹がオレンジ色をしている。この色合いは何かに似ている・・・そうだ、夕張メロン・・・。食べ終わった夕張メロンの皮の内側のあたりにそっくりだと思うのだが、どんなものだろうか(まさか、この文を読んで夕張メロンが食べられなくなるようなデリケートな方はいらっしゃらないでしょうね。いたらごめんなさい。。。ゲテモノ好きのすばるの文章を読んでしまったのが運のツキと、あきらめてね。)。その、小さな夕張メロンの切れ端のようなヒルを黙々と捕獲すること数十分。暑い真夏の太陽のもと、お菓子の缶の中の水は熱せられ、お湯へと変貌していたに違いない、捕獲に夢中になっていた我々がふと振り返ったとき、その光景が目に飛び込んできた。

 普段8センチほどのヒルが30センチ以上に体を伸ばしているその異様な光景!背筋を悪寒が走る!夕張メロンが並んで伸びてる〜〜!しかも礼儀正しく1列に並んで・・・。生存本能の恐ろしさ。ああ、これぞ生命の神秘・・・なんて今でこそ冷静に思い出せるが、あまりの光景に私とMちゃんは「ぎゃ〜〜っ」と悲鳴をあげて棒キレを投げ出し、後ろも見ずに逃げたのであった。その後あのヒルたちが無事用水に戻れたかどうかは知らない。菓子缶をMちゃんが回収にいったかどうかも。。。でもきっと彼らは生存本能をフルに発揮して体を伸ばしに伸ばし、冷たい水に戻ったに違いない。…戻ってなかったら・・・30センチのヒルのミイラが十数匹菓子缶の縁に貼りついているのが後日目撃されたことだろう。。。

 気持ち悪くても逃げる間には菓子缶の中身を用水に移してやればよかった。子供って残酷だ。



自然とふれあうシリーズ−2−
〜未知との遭遇〜

 子供というのは無知なもの。日々の経験の積み重ねで知識が増えていくのである。従って、子供にとっては日々、未知との遭遇の連続である。ここではその中でも私の印象に特に残った遭遇経験を紹介しよう。

遭遇<1>黄色と黒の可愛いもの
 2歳か3歳の頃。私は庭で三輪車を乗りまわしていた。ポカポカと暖かい日だった。三輪車暴走族すばるは、花壇の端の植え込みに到達した。平たく刈りそろえられた植え込みの上には姉上(大)の布おしめが1枚ずつ広げて干してあった。その白く輝く布の中央に、黄色と黒のしましまの小さな虫が動いていた。ちまちまと動くそれは、丸まっちい体とマッチした動きで大変愛らしかった。



 私は小さい子なら当然とるであろう行動に移った。すなわち、右手をのばし、その愛らしい虫をムンズと掴んだのだ。次の瞬間、初体験の痛みに悲鳴をあげて手を広げる私。泣き出す私に駆け寄る母上。…私の手のひらの中央にその黄色と黒のしましまの虫はくっついたままだった。そのお尻から出た針が私の手のひらに突き刺さっていた。が、やがてその体はポトリと地面に落ちた。私の手の中央に針を残したまま・・・。その虫はミツバチであった。ハチというのは刺す虫であり、なかでもミツバチは敵を刺すとその一生が終わってしまうというのを知ったのはこの時であった。そして母上の解説によりそれを知った私は、手の痛みより、罪の無い虫の命を奪ってしまったことの方にショックを受け、わんわん泣いたのであった。こうして1匹の貴重な犠牲のおかげでハチは(とりわけミツバチは)つかんではいけない、と私の中にインプットされたのであった。

遭遇<2>肌色のとぐろを巻いたもの
 その日私は裏庭にいた。裏庭は草ぼうぼうで、日当たりが悪く、いつも湿っていた。その中央に改築の時にはずした古い瓦の山があった。何を思ったか、私はその瓦を1枚1枚どける作業にかかった。
 何枚目かをどけた時、私の目の前に見知らぬ生物が姿を現した。一瞬硬直する私。



 それは妙〜に細長く薄っぺらく、肌色をしてトグロを巻いていた。トグロの直径は4,5センチ位。あまりの気持ち悪さに、しばし「ヘビににらまれたカエル」状態になり、私はダラダラと油汗を流した。。。(四六のガマ〜・・・<しょーもなー)。やがて、ゆっくりと向きを変えると、丁度台所にいた母上に私は窓越しにこの生物発見の報告をした。ちなみに台所の窓からは裏庭が丸見えである。生物の形状を説明すると、母上は「ああ、そりゃ、ヤマヒルじゃ。塩かけとき」と、私に塩のケースを手渡した。私は発見場所に舞い戻り、まだトグロを巻いているソレに山盛り塩をかけるとそのままその場をトンズラしたのであった。今でもあまりお目にかかりたくない生物である。

遭遇<3>肌色の動くもの
 その日の私はご近所の田んぼのあぜを歩いていた。そこには浅くて狭いドブ川が流れていた。田んぼの間の溝なのに、そこは近くの家の生活廃水が流れ込み、いつも黒く澱んで臭いにおいが立ち上っていた。これが、田植えシーズンになるときれいな大量の水がどっと流れ込み、ほどほどにきれいな用水に変身するのであるが。さて、そのドブに沿って通るあぜ道を歩いていた私はドブの中に見なれぬものを発見した。



 それはひょうたんの片端に針をつけたような変な形(図参照)で、水面に数個浮かんでいる。しかも肌色・・・。自然界で肌色のものを発見した時ほど不気味な気分になることはないのだが、しかもそいつらは時々ピクピクと動いているのだ!気持ち悪〜い〜。私は一目散に家へ帰り、またしても母上に報告した。すると母上は「それはハエのサナギじゃ」と解答(こうしてみると、母上結構物知り)。動いていたのはまだサナギになりたてだったからだと判明した。それにしても巨大だったので、あれはきっと銀バエのサナギだったのだろう。・・・でも2度と見たくない。

遭遇<4>白くて柔らかい卵
 その日の私は河原にいた。我が家から西へ2枚ほど田んぼを隔てると土手があり、土手の向こうには1級河川「吉井川」が広がっているのだ。小さい時は当然かっこうの遊び場であった。河原にはゴルフ場、サッカー場、草野球のグラウンドなどもあるが、手付かずの場所もそれなりにあった。
 その頃草野球のグラウンドの端、川との境に近いあたりに大量の丸石が山積みになっていた。長径20センチ位の、河原でよく見かけるような石だが、いかにもトラックで運んできて、そこへうつしたような山だった。何を思ったか、またしても私はその石をどけにかかった(決して趣味や習性ではないはずだが)。すると間もなく石の間に私は素晴らしいものを発見した。ヤマヒルやハエのサナギの気持ち悪さは全く無い。私はときめいたのだ。それは大量の白い卵だった。何の卵か知らないが、持って帰って育てよう!と私は卵の集団を両手ですくいあげた。



 不思議と卵の集団はバラつかず、手の中にすっぽりとおさまった。卵は1つ1つがカイコのまゆのような形と大きさで、ぷよぷよと柔らかかった。そしてピンポン玉のような白さと見た目の質感だった。カラはいかにも薄そう。私はその卵たちを大事に両手に抱え、家までそろそろと帰った。庭には母上がいた。早速自慢気に卵を見せる私。その途端。「そりゃあヘビの卵じゃ!元あった所へ捨ててこられぇ!」
 衝撃の宣言であった。ヘビの卵?!しかし私は卵から孵して育てるという夢が捨てきれなかった。「私飼うもん!」と涙目で訴えるが、母上は捨ててこいの1点ばり。しかも私の頭の中にはうじゃうじゃと20匹以上のヘビが孵った光景が浮かんでいた。さすがにちょっと私の手には負えないかも・・・。そのような弱気な考えが頭をもたげるともう負けは決定である。私は泣く泣く卵を元の石の間に戻しに行ったのであった。そして去り際、「立派に育てよ」とエールを送るのも忘れなかった。・・・ちゃんと孵ったかなぁ、あの子達(<ちょっと母親の心境?)。。。

遭遇<5>小鹿を見た日
 これは「未知」との遭遇ではない。しかもほんの2,3年前の出来事だ。ちょっと嬉しかったのでHPにUPしたいが、単独で書くほど大した事件でも面白い内容でもないので、ここに入れてしまう。
 私の密かな楽しみは「近所で野生動物を目撃する」ことである。長船町はほどよく田舎なのでタヌキやイタチはよく目撃される。ヌートリアやナゾのカワウソもどき、テン(かも?)も見たことがある。キツネもキジもたまに目にする。野ウサギも見た。あとはクマとイノシシ、シカである。クマはさすがに中国山地にわずかにいるだけらしいので見れるとは思っていないが(しかも出くわすのは勘弁願いたいし)、イノシシとシカには大層期待が高まる。イノシシは目撃談もよく聞くのに、一度も遭遇したことがない。もちろん成獣に突進されるような遭遇の仕方はこれも遠慮したいが。うり坊は近くで見てみたいかも。さて、鹿であるが、こいつは身近なところで、父上が目撃している。田んぼの中を稲を掻き分けながら現れ、掻き分けながら去っていったらしい。日生の海に浮かぶ鹿久居島から渡ってくるという説もある。亜夢さんも夜中に鹿のお尻と対面したという。いるのは間違いないのだが、これがなかなか遭遇できない。
 ところがである。そんなある日、ついに私にも鹿さんを目撃する機会がやって来た。それは田植えのちょっと前、母上の実家から毎年恒例で田植え機を借りて帰っているまさにその時だ。父上と母上が乗り、荷台に田植え機を乗せた軽トラが前を行き、私は田植え機が落ちたりしないように念の為後ろからリベロちゃんでついていって見張る係りだったのだ。母上の実家のある備前市から長船町へ向けて移動中、もうすぐ長船町へ入るぞ、という時、ふと右手の田んぼの中に茶色いものが見えた。その田んぼのすぐ裏は山で、つまり車道と山に挟まれた位置に田んぼはあった。山までの距離は30メートルくらいか。結構狭い田んぼだ。その田んぼの山よりの位置に茶色いものが微動だにせず立っているのが目の隅に入ったのだ。いつもの習性でふっと目を向ける私。


動体視力はよい、と紫瀬さんに太鼓判を押されている私だ。瞬時に茶色い物体の見分けはついた。「なんだ、鹿か」と納得し、前を向く私。が、次の瞬間、やっと脳みそが事態を認識し、「えっっ!?鹿!?」と再び真横を向く私。間違いなく夢にまで見た(見てない、見てない)鹿である。しかも小鹿だ!背中に白い斑点が!か・・・かわいい・・・!その小鹿は田植えが済んだばかりの田んぼにじっと立ち尽くし、何を思ってか向かって左側を向いていた(図参照・まさしくこのような内股気味の立ちポーズであった)。何を思う、小鹿よ・・・。
としっとり感傷に浸る私ではない。運転しながら「鹿だ!鹿!」と一人車の中で異常興奮して叫びまくっていた・・・。この間車の速度からして、ほんの十数秒。ちゃんと運転していることを自覚していた私は、大満足で鹿から目を離し、本来の田植え機見張り作業へ戻ったのであった。(それにしても運転中は油断大敵、よそ見をしてはいけませんよ、すばるくん。<一人ツッコミ)でも嬉しかったんだよ〜ん。

遭遇<6>綺麗な目の大きなハエ
 再び戻って小2の頃。確かドタバタの入退院の夏が終わって9月に入ったばかりの時期。その日私は水泳の授業を見学していた。校舎の日影の風通しのいい階段に座ってプールを見ていた。するとそこへプ〜ン、と大きなハエが飛んできた。それは銀バエでさえ負けちゃうほど大きなハエで体長2センチくらい、全身灰色のハエだった。そのハエが、コンクリートの階段に腰掛けている私の左の足にとまった。ひざのちょっと下の垂直部分に上を向いてとまったので、見下ろした私と丁度目があった。その目の綺麗なこと・・・!ブルーグリーンの大きな目、それも光の加減でメタルブルーに見える個所とメタルグリーンに見える個所と・・・その中間どころは美しくグラデーションを構成している。


あまりにも美しい目に見とれていたので、他の部分の記憶があいまい。かといって調べてまできちんと描こうとしないのが私。

 当然私はその目の美しさに見とれた。こんな目の綺麗なハエがいるなんて知らなかった。なんて今日はラッキーな日だろう・・・。しばし、そうして私はうっとりとハエの目を見つめていた。すると、ハエのとまっているあたりが、チ・クーっと、痛くなってきた。その痛みはどんどん増すのである。そのハエに刺されたのだ、と認識した時にはハエは「ハイ、ご用は済みました」とばかりに飛び立っていた・・・。帰ってこのことを母上に報告すると、ハエだとばかり思っていたソレはアブであった。以来、アブは刺す虫であると理解したので、止まってこようとする時は丁重にお断りすることにして、他の場所に止まっている時を狙ってお目々の色を鑑賞させて頂くようになったのであった。


自然とふれあうシリーズ−1−
〜夏休みの自由研究〜

 中学校のときだったか、小学校のときだったか。。。とにかく宿題にはギリギリまで手をつけない主義の私は、2学期を間近に控え焦っていた。何よりもガンは「夏休みの自由研究」だ。何か短期間で出来る観察日記でも出来ないものかと思案していた時、天啓のような父上の一言が。「蚊なら1週間ぐれぇで、卵から成虫になるでー」おお!それだ!それしかあるまい。早速蚊の卵探しに赴く私。蚊なんか夏になればどこからともなく大量に発生するのだから、卵もその辺にポロリとあるはずである。父上の入れ知恵(?)により、若きすばるは教わった形状の物体を求めて、庭に2,3個転がって水の貯まっている元手水鉢やら石臼やらわけのわからない中を覗きこむのであった。そして・・・比較的早く発見。

蚊の卵。

 それは黒く泥のつもった、しかし澄んだ水の中にプカプカと浮いていた。肌色もしくはオレンジ色の、超小さなカズノコが直方体型にくっついた姿とでも申しましょうか・・・長い辺が7,8ミリ、短い辺が3ミリぐらいの・・・だったかな?かなり記憶あやふや。初日、まずは観察した卵の絵や、発見場所などを書きとめて観察終了。卵は大切にイチゴの入っていた透明パックに発見場所の水ごと入れられ、観察しやすいように、居間の、姉上が機械編みの編み機を据え付けていた机の下にそっと置かれる。ここなら誰かがうっかり蹴っ飛ばす心配もない。
 さて、1,2日後順調に卵はかえり、イチゴパックの中は十数匹のボーフラでにぎやかになる。ここで、当然ルーペを使ってボーフラのお顔のアップなどスケッチ。ちゃんと体長なども測って記録する。ボーフラの顔は大変可愛くないウーパールーパーみたいであった。ウーパールーパー(何年か前に流行った、なんたらサンショウウオの幼生ね。顔の四方にエラの突起がアンテナのように出ているのだ)とスズメバチを合体させたような顔・・・だったような・・・(この辺も記憶あいまい・汗)。ボーフラはウーパールーパーのエラの代わりに毛が毛虫のように突き出ているので、長時間眺めているとそれだけでちょっとかゆくなってくるのであった。そして皆さん,ご存知と思うが(それとも最近の若い人はボーフラ見たことがなかったりして??)上下にちまちま忙しく動くあの運動。。。うっとおしいが、結構眺めてた変人な私。。。エサはやらなかったが、きっと水の中にミジンコとか、エサになる微生物はいたはずだ。こうして順調に観察日記は続いた。サナギもスケッチした(形状は全く覚えていないが)。そして、ある日、それは起こった。当然の結果であるのに家族の誰一人思い至らなかった事態が発生したのだ。。。そう・・・「どしたん?今日ヤケに蚊が多いじゃん?」・・・家族団欒の場である居間にその日はヤケに蚊がたくさん飛んでいた。網戸が破れているわけでもないのに一体どこから侵入してきているのか?みんなで首をかしげながら原因を探すがわからない。。。プ〜ンプ〜ンとイヤな音が響く中、ついに原因は判明した。

「あっ!蚊が(サナギから)孵っとる!」なんというマヌケな展開。蚊は外から侵入してきたのではなく、部屋の中で発生していたのだ。まるでパニックSF映画のようだ。原因が究明され、安心した昴家の面々は誰でもが取るであろう、当然の行動に移った。プシューッ・・・白い霧に包まれる居間。キン○ョールの直撃を受け、私の夏休みの宿題に貢献してくれた彼らは短い一生を終えたのだった。。。合掌。


あやまちのコブ

 確か3歳の頃。A川荘で、時々遊んでいた子に、中学生の男の子がいた。年齢は中学生なのだが、やや精薄だったため、精神年齢が同じくらいだったのだ。その彼が焼却場から柱の燃え残りのような棒を拾ってきた。かなり重い棒だったが、その重さが丁度良かったのか、彼はその棒を持って、こまのようにクルクル回り出した。「見ゅうれぇよ」と彼に言われていたので、私はそばで立ってその様子を見ていた。が、やがて彼は目が回ったのかよろけて、回転しながら私の方へ近づいてきた。次の瞬間、ゴン!素晴らしい音がした。火花も散ったかもしれない。彼の持った棒は見事に私の額にヒットした。火のついたように泣き出す私に、慌てて駆けつける母上達。状況を一目見て何が起こったかわかったらしく、ギャンギャン泣く私を抱き上げ、母上は言った。「ありゃ、コブになっとる。あやまちじゃ、あやまちじゃ」と。泣くな、というなぐさめのつもりだったらしいが、それを聞いた「あやまち」という言葉の意味をまだ知らない私は、余計に泣いた。「ただのコブだと思ったのに、「あやまち」っていう名前がついたコブなんだ。名前がつくくらいだからきっとすごいコブなんだ。治らないかもしれない・・・」
・・・「あやまち」の本当の意味を知ったのがいつだったかは覚えていないが、妙に印象に残っているエピソードである。


チューリップ階段

 幼稚園か小学校低学年の頃、家族で「木曜スペシャル」を見た。UFOとネッシーの話があるというので、私もこたつに入ってみていた。ところが、後半は心霊写真のコーナーだったのだ。海外の色んな幽霊スポットや心霊写真などを見せ、コマ撮りカメラを使って婦人が抜け出るといわれる絵を撮影したり、と、とにかくとんでもなく怖い内容だった。当時ただでさえ、怖がりだった私は、怖くて見るのをやめられず、全部見てしまった。その中に「チューリップ階段」という話があった。ある富豪の屋敷が今は博物館になっていて、ある広い部屋の中央に2階へ行ける螺旋階段がある。その階段の手すりにチューリップの模様があるので「チューリップ階段」と呼ばれているのだ。

「チューリップ階段」手すりの模様。黒い部分が鉄枠(?)で、それ以外の部分は向こうが丸見えのつくり。
チューリップがいびつなのはすばるのマウスさばきが下手なせい。本物は全部同じ形で美しく並んでいる。
これから話題に出る問題の写真は克明に覚えているが怖いので私は描きたくない。

 さて、ある日の閉館間際、見学に来ていたある人が、何気にそのチューリップ階段を下から見上げる角度で写真に撮った。周りには誰もおらず、もちろんチューリップ階段はもとから立ち入り禁止のため、誰もいるはずがなかった。フレームを覗いても見えるのは階段だけだった。そしたらば、写っていたのだ。その写真に。うぎゃ〜〜。階段の上の方に金髪のネグリジェ(と思われる)姿の女の人が。そしてその女の人の不自然な格好。片手で手すりを握り,同じ側の片足も手すりに乗っている。まるで、今から飛び降ります、といったポーズなのだ。しかも手すりを握った片手の指にはまった指輪ははっきり写っているのに、それ以外の体全体は高速で走っているかのように左右にぶれている。なのに金髪は下に向かって垂れている。。。いや〜ん、今書いても怖いよ〜ん。こんな写真が撮れた理由は不明なままだ。さて、あまりにもインパクトの強かった写真に私は階段がすっかり怖くなってしまった。これぞトラウマと言わずしてなんとする。そんな私を見て妹思いの姉上(小)は、階段を私が上り下りするところへ出くわす度に、笑いながら(←ここポイント)「チューリップ階段〜!」と叫んで追いかけて来るようになった。何度もそれをやられた時は遂にあまりの恐怖に泣いてしまったこともある。これぞトラウマと言わずして・・・。しかし、何年にも渡り、何度も何度もこれをやられるにいたり、段々平気になった。ある日、追いかけて来た姉上に対し、「もう、平気だもん。怖くないもんねー!」と言えるまでになったのである。すると姉上、「まあ、良かったなぁ、あんたの怖がりを私が治してあげたんよ。なんて妹思いの優しい姉だろう」とのたまった。。。


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