HOME>>  「居間」TOP>>

何かに似ている。。。

 誰でも「○○に似ている」と言われた経験はあるだろう。
 私も小さい頃から母親に似ていると言われ続けてきたが、ここ3年ほどたて続けに「○○に似ている」と言われた。。。

 そのものとは

1.た○ぱんだ
 去年だったか、一昨年だったか、ふと「た○ぱんだ」の絵本を買ってしまったのだった。なかなかほのぼのと楽しく読んだが、それを読んだ姉上(小)が「あんたそっくり!」と、のたまった。「どこが?!」と問うと「行動パターンや動作のトロイとこ」と。
 その後、その意見は家族全員の一致を見てしまった。

2.ベ○ブ
 金曜ロードショー(だったかな)で、映画「ベ○ブ」をやったので録画して見た。牧羊ブタを目指す子ブタの話だ。すると、その映画が大変気に入った姉上(大)が「ベ○ブって、あんたそっくり!」と言った。「どこが?!」と問うと「性格が」と。
 その後、一緒に映画を見た母上も賛同。バカ正直なところが似ているらしい。

3.ぶるぶ○ドッグ
 ある日、本屋で姉上(大)がぶるぶ○ドッグのメモ帳に目をとめ、買った。そして、またまた「ほら、あんたそっくり」と言う。
「どこが?」と問うと、あろうことか「顔がそっくり」と言われた!私の顔は犬か?!さすがに「おいおい」と思った私は後日、ふと塾生にそのことを語った。ちょうどぶるぶ○ドッグのメモがそこにあったから思い出したのだ。すると
「あ!ほんまじゃ。言われて見たらよう似とる!」と言った・・・。一応否定して欲しかったんですけど。。。

 ということで私はた○ぱんだの行動パターンと、ベ○ブの性格と、ぶるぶ○ドッグの顔を持った人間らしい。
 全部人間じゃないところが人間として情けない…かも。



ハマダイコンの花が咲いたら

 花によって時のうつろいを感じる人は多いだろう。桜の花を見たら「ああ、1年経ったんだなぁ…」とか。
 私の場合、1年経ったんだなぁと、痛切に感じる花は、桜よりハマダイコンである。

 ハマダイコンとはどんな花か?春に海岸の砂地に咲く白い花だ。大根の花に大変似ている。大根の花を知らない人は…菜の花の花の色を純白や藤色がかった白にしたものだと思ってくれるとよろしかろう。

 この花を初めてそれと認識して見たのは鳥取の海岸である。
 自分で車を運転するようになってから、ふらりと鳥取に出かけることが多くなった私。鳥取の国道は海岸沿いを走ることが多い。道のすぐ横が海岸の砂地、という箇所も多い。そこでこの時期国道を走っていると、道の横に白い花畑が広がるのである。うちの近所の河原なら「からし菜(こいつも菜の花に似ている)」の花畑が広がっているが、黄色い花畑と白い花畑では、白い方が美しく感じるのであった。

 さて、初めてこの花畑を見た時想像したのは真っ白な花の中に人知れず横たわっている死体である。なんでそんなもん、想像するんだと言われそうだが、想像したんだから仕方ない。そして、そこがイントロで、何故この男はここで死んだか?という過程を描いたらどうかな〜、と。そう、これはマンガのストーリー。そして大変「マンガ描かなきゃ」という気持ちになったのであった。(しかしこのイントロ死体ネタは今だ描かれず。だってイントロしか浮かばないんだもん・笑)


作者代理・氷月。私が横たわってても絵的に美しくないから。
画像をクリックするとより大きな
サイズで画像が見られます。
 「願わくば 花の下にて春死なん・・・」とか歌ったのは西行法師だったか?別に桜の花の散る下で死にたいとは思わんが、ハマダイコンの花の中で息絶えるのはいいかもしれん。。。とも思う。断っておくが、私には早死に願望も行き倒れ願望もない。
 でも、白い花ごしに青空を見ながら意識が遠のいて行くのもいいかもしんない、とか思ってしまう。背中にはほどよく温もった砂の感触。花の匂いと羽虫の羽音(この場合、国道沿いだと車の音がうるさいので却下)。ほどよく暖かい日光に照らされて…。なんか最期がこうなら、結構いい人生だったなあって思いながら死ねそう。

 でも死体はほどよく白骨化してから発見されねばならん。生々しいうちや、一番汚い時期に発見されるのは勘弁だ。。。って、何故にここまで具体的に想像してんでしょ、私は。

 まあ、そのようなわけで(?)私はこの花が一面咲き乱れているのをみると、「マンガを描かにゃあ!」と燃えるのである。

 だから、冬場に海岸を通れば、「ハマダイコンが咲くまでにはコンテ切るぞ」と思い、咲き始めに通れば「散るまでには描くぞ」と決心し、散ってしまえば「来年、咲くまでには本出すぞ」と誓いを新たにするのである。そんな気分にさせる花なのだ。

 そして今年も…
友人:やぁ〜、もうハマダイコン咲いてるじゃん
私:ぎゃ〜〜!また1年経ったのに本が出てない〜

 と絶叫するのであった。。。



金のエンゼル

 初めてチョコボールを買った時から数えて幾星霜。先日、ついに「金のエンゼル」に遭遇した。
 ホントにあったんだ、金のエンゼル。ということで、HPにUPしろという周りの声を受けてUPしました。まだ見たことのない人、ご堪能ください。

 しかし立体物をフラットスキャナで読みこむこの無謀。
 周りに写ってるこの汚い布はなんだ?いけません。人間細かいことを言ってたら早く老けて早く死んじゃうぞ〜。ほら、エンゼル様も笑っておられる。



しぶいどんぶり

 我が家には渋い色のどんぶりがあった。縁が薄青で地色はベージュである。
 時々陶器市などで似た模様のどんぶりを見かけることはあったが、大抵そのどんぶりは地の色が白で、爽やかではあるが、うちにあるどんぶりの渋さは持ち合わせていなかった。よって陶器市でその似たどんぶりを見るたび「ふふん、うちにある方が渋いわ」などと心の中で呟いていたのである。

 さて、話変わって、我が家には粗品でもらった磨き粉がたくさんあった。昨年シンク周りが新調された時、大量のしまい込まれた磨き粉が発見された。「これはマメに使わねばなるまい」と気持ちを新たにし、時間に余裕のある時は洗剤+磨き粉のダブルで皿が磨かれることとなったのだ。。。。。。。

 この話の展開で察しのいい人は気付いただろう。ある日、私は件の渋いどんぶりを磨き粉で磨いてみた。。。。すると!ベージュだった地色は白色へと変身したのである!これは陶器市で見かけるあのどんぶりと同じ・・・!
 ということは・・・あの渋いベージュの地色は全て汚れだったということに・・・なる?

 ・・・・・・・・・・・・・・(無言)



ああ、野麦峠

 「ああ、野麦峠」または「女工哀史」。それは富国強兵時代の語るも涙の物語。青春真っ只中の10代の娘さんたちが、家計の助けになるように、飛騨から野麦峠を越えて岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行って、ある者は工場の性悪息子に孕まされ、暇を出されて帰る途中の野麦峠で赤ん坊を産んでその場で果てるわ、主役は過酷な労働で結核になって迎えに来た兄の背中で果てるわ、の悲惨な話である。でも実際にこういうことがよくあったという。。。(涙)。
 で、主役が果てるのがまた野麦峠の上で、故郷がやっと見えた時に「ああ、飛騨が見える。。。」と呟いて果ててしまうんですな。で、昴家ではこの野麦峠を何年か前の夏にドライブで訪れておるのです。


 ある午後のことであった。その家の末娘が仕事の合間に居間に行くと、結婚した次女が遊びに来ておった。談笑している家族の中に末娘は突入し、休み時間に水分をとっておこうと、りんごをむき始めた。りんごは居間の隅に皮むき用のナイフ一式と一緒においてある。黙々とりんごをむいておると、ずっと家族に背をむける形になる。他の家族は、最近父親が凝っている短歌の話題で盛りあがっていた。末娘はその話題を背中で聞くともなく聞いていた。

 父親の短歌は主にドライブで行った場所で思ったことなどを歌ったものである。居間の壁はドライブで撮った記念写真の引き伸ばしたもので埋め尽くされている。その写真の横に思いついた短歌が貼りつけてある。

 「まあ、見てみぃや、それやこー、名作じゃろうが」と次女に父親が指し示したのは「野麦峠」の歌であった。次女はちょっと読んで、「私、『ああ野麦峠』って、話知らんのよな」と発言した。これには家族中驚いた。父親と長女は原作を読んでいる。母親と末娘は映画を見ている。従ってその家では誰も知らない人のないポピュラーな話なのだと信じ込まれていたからだ。

 そこで父親があらすじをかいつまんで語り始めた。語り終わる頃、末娘はりんごをむき終わった。次女はあらすじを聞き終わると「お父さん、ティッシュがいろう!目が赤いよ〜」と茶化していた。「はっはっは。誰が泣きゃー。うちらみんな知っとんのに」と母親と長女が笑った。
 その時、末娘がりんごを頬張りながら振り向いた。


「私がティッシュいる・・・」

 末娘の頬にはとめどなく涙が流れていた。。。



 もちろんこの後、私は家族の大爆笑の洗礼を受けたとも。仕方ないさ。泣けたんだもの。かくいう今も「ああ、飛騨が見える。。。」を打っていた時点で泣いてしまいました。。。

 2001年2月初旬の昴家居間での微笑ましい(?)出来事。



火葬

 ある日の夕方、結婚している姉上(小)が、だんなさんがお仕事でいないのをいいことにやってきて、「夕飯はステーキ!」と宣言し、塾前にみんなをこきつかって夕食とあいなった。

 ところが食後、なんだか台所が煙い。ステーキの余韻か?なんて言っていたのだが、塾の合間にトイレへ行った時もまだ廊下がコゲ臭い。何も焦がさなかったのに。

 やがて塾が終わって、やれやれ、と台所のガスの元栓を閉めに行くと…なんかシューシューいっている。よく見ると魚焼きグリルの火がついている
 そういや、姉上、「しいたけ、大き目の買ってきたの〜。グリルで焼いて食べるの〜」とか言ってなかったか?でもそんなもん誰も食べてない。。。

 火を消してグリルを開けると小さなしいたけの残骸らしきものが等間隔で並んでいた。。。そのサイズ、元のおよそ6分の1。。。
 コゲコゲでも食べれるかしら、と皿にとろうとしたら、箸で触った途端、彼らはボロリと崩れた。。。見事に原型を留めたままの灰になっていたのである。。。

 あまりのめずらしさに家族にグリル皿ごと見せに行ったら、父上が「お骨と同じじゃな」と言った。

 。。。合掌。。。



くつろぐ時も油断大敵


この話は想像力豊かな人にはちょっと痛いです。
痛い話が苦手な人は読まないことをおススメします。

 昴S子(母上)は意外にも手芸好きである。最近は疲れて寝くたれていることが多いが、一昔前まで、冬の夜といえば、こたつに入って縫い物をしたり、編物をしたり、ミシンをダッダカ言わせたりしていた。

 ところですでにお気づきの人もいようが、昴家の面々はお世辞にも片付け上手とはいえない。「ブラックホール」と呼ばれる、何が入ってるかわからない棚もあちこちに存在する。
 そしてその片付け下手の筆頭が母上なのである。

 こたつといえば冬の家族団欒の象徴。家族がくつろぐポイントのトップにあげられるだろう。
 そのこたつに寒い時は当然肩まで潜り込む。もそもそと潜り込んでいくと、何かが足にあたる。ある一ヶ所でチクチクくるのだ。
「なんじゃいな、これは」とその辺をまさぐると、敷き布の中から出て来るのだ。
縫い針が…!
 また違うときには上掛けの1点がチクチクする。「おいおい、まさか・・・」と、まさぐると、またしても縫い針が出て来る・・・。

 昴家のこたつとは、このような環境にあるわけである。(ここまで前フリ)

 ある日、姉上(大)がおしめ替え部屋へと向かっていた。ご存知のとおり、うちの姉上は下半身不随なので、居間に隣接しているおしめ替え部屋(つまり我々のトイレのようなもの)へ向かうときは絨毯の上をはっていくのだが、彼女がはうにつれ、妙なものを引きずっているのに気がついた。彼女のちょっとめくれたズボンのスソからのぞいた素足部分からそれは続いている・・・。


 それはどう見ても2本の黒い糸・・・。
「・・・ちょっと・・・なんか糸がついてるよ」という私に「は?」と振りかえる姉上。
 見ると黒い糸が,姉上の足から生えている・・・!
 姉上はその黒い糸を2本合わせて引っ張った。・・・すると出てきた。
足の中から黒い糸を通した5センチほどの縫い針が・・・!

 針は見事に根元まで突き刺さっていたので、見た目には糸だけが足から生えているように見えていたのだった。痛さどころか触感さえない姉上だからこそ、そこまで深々と針の進入を許してしまったのであろう。ちなみに刺さった現場は、やはり、こたつの中と推測される・・・。

 針を抜いたあと、「やあ、糸のついた針で良かったなあ」とみんなで興奮して語ったのであった。

 ほほえましい冬の思い出・・・>そういう問題じゃないだろ。



<前ページへ  ▲ページ先頭へ  「居間」TOPへ  次ページへ> 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system